南太平洋に浮かぶ300以上の島からなる群島の国「フィジー」。
最近は直行便も運行し、旅行先としても人気が急上昇しています。
しかしこのフィジーという国の歴史は案外知られていないかもしれません。
もしフィジー旅行に行きたいと思っている人にとっては、これまでにフィジーが歩んできた歴史と住んでいる人々の背景を知ることで、旅行はもっと充実したものになるかもしれません。
これからフィジー旅行に行く予定がある人もない人も、この常夏の島の歴史に少し触れてみてはいかがでしょうか?
フィジーの場所と成り立ち
南太平洋に点在する火山と珊瑚礁から成り立つこの国は、首都の「スバ」があるビチレブ島を中心に、周りをツバルやトンガ、バヌアツといった島国に囲まれたオセアニアの国家です。
同じくオセアニアにあるニューギニア島にいた「パプア人」が約8,000年前に住み着いたのがフィジーの歴史の始まりといわれています。
そこからトンガ人など、他の民族も移り住んで各島の文化を持ち込んでフィジーの文化が出来上がっていきます。
イギリス植民地時代
パプア人の入植以降、独立した発展を遂げていたフィジーでしたが、大航海時代に突入し、世界各地で様々な島にヨーロッパからの入植が進むと例に漏れずオランダのタスマン(1643年)、イギリスのクック(1774年)といった航海家がこの島に上陸しました。
発見した土地を次々に征服していくのが当たり前だったこの時代、ヨーロッパに比べて発展の遅れているフィジーが訪れたイギリスの植民地となってしまうのは自然な流れだったといえるでしょう。
1881年から1970年までの約100年もの間イギリスはフィジーを植民地として、気候を生かしたサトウキビのプランテーションを行いました。
このときに労働者としてイギリスが送り込んだのが、同じく植民地だったインドの契約労働者だったのです。
フィジー人とインド人
それによってフィジーに元から住んでいた「フィジー人(先住民)」とイギリスから送り込まれた「インド人」によるフィジーの人口の構成は生まれました。
サトウキビのプランテーションの労働者として連れてこられたインド人とその子孫がフィジーの文化的発展に大きく貢献したことはいうまでもありませんが、ピーク時でフィジー人口の約半数を占めていたインド系の人口比率は今では約40%程度と落ち込んでいます。
それは、勤勉で仕事熱心なインド人が裕福になり、よりよい職場環境を求めて海外へと移住が進んだ結果といえます。
独立までの動き
第二次世界大戦後の政治のバタバタのなかで当時相次いだイギリス植民地各国の独立運動。フィジーも例に漏れず1970年に独立を果たしましたが、独立当初はイギリス連邦王国としてでした。
1990年に憲法を公布し、1998年にようやく「フィジー諸島共和国」となります。
(その後、現在の国名である「フィジー共和国」に改称されたのは2011年)
これ以降、改めてフィジーはその観光資源を武器に発展を進めますが、優秀なインド系が経済のみならず政治にも大きく進出したため、危機感を募らせるフィジー人との間の確執は今でも深く残っているといえるようです。
観光立国フィジーの今後
独立後間もないフィジーはまだ人口でも経済(GDP)でも全世界の国で見ると100位以下と発展途上国であることは間違いありません。
しかし観光立国として魅力的なその国は世界各国からの旅行客だけでなく、日本を始め多くの国から経済援助を得て勢いのある成長を見せています。
日本からの直行便が運行したのも2018年とつい最近のことですので、今後はさらに旅行先としての魅力が高まっていきそうです!
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